ニコンD1の発売を前に、、、


 人の感覚ほど気紛れで曖昧なものもないが、時として精密な測定器でも測れないような微妙な違いも嗅ぎ分け、感じ取る能力も同時に持ち合わせている。

 なぜ急にこんなことを言い出したかということを前置きが長くなるのを承知のうえで言わせてもらいたい。
 写真をやっていて最近つくづく思うのはレンズの描写力、たとえばシャープネスやボケ味など微妙な違いというのはスペックなどの数値で表現できるものではなく、にもかかわらず実際の仕上がりや印刷された写真を見た時に愕然とするほどの圧倒的な違いを感じることがある。
 例えば個人的体験から言えば、同じキヤノンレンズでありながら85mm F1.8と85mm F1.2Lの明らかな描写力の違いや、本来描写力に優れた中判サイズでもハッセルブラッドやコンタックス645で使われているカールツアイスレンズの表現力を目のあたりにした時に愕然としたことがある。それはだた単に「感じた」という感覚で、具体的な数値や言葉では言い表わしがたいことである。こんなことを言ってしまうと不謹慎だが、たぶん素人目には分からない程度の違いかも知れない。
 写真の仕上がりというのはもちろんレンズだけではなく、カメラやフイルムや現像方法など複数の要素が絡み合って出来上がるものだし、個人的な好みもある。その意味では全てのマッチングがとれた時にその人にとっての最高の仕上がりになるのである。

 カメラやレンズにも得手不得手がある。
 例えば、僕は昔3群4枚構成のテッサーレンズ付きのローライフレックスを使って作品撮りをしていた時期がある。ある時気が付いたのはこのテッサーレンズがモノクロ(特にトライXをマイクロドールで現像したとき)を使用した時にえも言われぬ味を出すということである。カラーでは全くヘボレンズといわざるを得ないのに、、。
 またある時は、それまでキヤノンNewF-1+キヤノンFD80〜200mmF4Lを使ってポスターなどのイラストの複写を手持ち撮影でやっていたのだが、たまたまニコンF4+ニッコールAF80〜200mm F2.8Dで撮った時、お客からクレームをもらってしまった。画面が歪んでいるというのである。それまでキヤノンを使い、半ばいい加減に手持ちで撮影していてもクレームなど一度ももらったこともなかったので、えっ!?っと思い、予備にとってあった「ヤレポジ(業界用語でクライアントには渡さない予備ポジのこと)」をルーペで確認すると、確かに微妙に歪んでいる。これは僕のせいではなく、「タル型収差」と呼ばれるレンズ固有の歪みであった。このニッコールレンズは決して悪いレンズではなく、人物の撮影などでは抜群に良いあじを出すレンズである。たまたま魔がさしたとしか言い様が無い条件下での出来事だったといわざるをえない。(お客もプロのイラストレーターだった)
 しかし、プロの世界はこういった素人目には分からない微妙なところで商売をしているということを理解していただきたい。だから、この仕事はこのカメラでこのレンズでなくてはならないといった高度な技術的、表現的判断が必要になってくる。先の例でいえば複写にはズームレンズは歪みなどの収差が大きいので本来使ってはいけないのだ。たまたまキヤノンFD80~200mmF4Lが優秀だったので使っているうちに「ズームレンズでも大丈夫」という意識が芽生えてしまったため油断したのだと思う。たかだか「複写」程度の仕事でもこうなのだから、通常の仕事はさらに高度なレベルで機材の選択をしなくてはならないハズである。
 「ハズである」と仮定的な言い方をしたのは、時代的になかなかこういった専門的な理由がまかり通らなくなっていることも言いたいからである。バブル以前なら、こういう表現をするためにはこういう技術的理由で、そのためにはこういう機材が必要だからこのくらい予算がかかる、といった理屈が通ったのであるが、バブル以降は全く聞き入れてもらえなくなった。単純に経営的判断から予算内で収めろといった一方的理屈だけがまかり通っているような気がする。だったら、わざわざレンタルしてでも最高の機材を使おうなどという気は薄れ、ついこちらもケチ根性がでてしまい、あり合わせの機材で済まそうと思って失敗してしまうこともないとはいえない。悪循環である。

 今はフォトグラファーにとっては受難の時代かもしれない。一般の人には理解できないような高度な専門的判断によって機材を選択し、長い修練のなかで培われたライティングの技術や表現力によってギャランティされていたことが、ことごとく覆されてしまっている。うまいへたではなく単純に日当扱いである。もちろん全ての仕事がそうだとはいわない、正当に評価してくれるクライアントもいる。しかし、こちらも食っていくためには必死だから、クライアントは選べないのが実情である。

 そういった状況の中でなんとかフォトグラファーとしての活路を見い出そうと期待をかけたのがデジタルカメラである。経営的判断で予算がない、というなら一歩譲ってそれでもいいだろう、じゃあフイルム代、現像代のかからないデジタルカメラを使おうというのがこちら側の単純な理屈であった。そのかわりクオリティには多少目を瞑ってもらいたいというのも正直な希望でもあった。しかし、ことはそう単純にはいかなかった。
 そもそもまともなデジカメがなかったのだ。キャノンDCS-1(600万画素、360万円、D6000の前モデル)にしたところでここ数年の雑誌などに掲載された作例を振り返ってみると、その時はそれなりの「作品的味」を画像処理でわざと出しているのかなと思っていた発色傾向が、実は正しい使い方(ホットミラーフィルターの使用)をしていなかったり正しい画像処理をして正しくCMYK変換していなかったために陥っていた発色傾向だったという単純なことに最近気が付いた。もちろん、カタログや雑誌広告に掲載されている写真ではそのようなことはない。きちんと使えばきちんと使えるカメラなのだが、問題は、きちんと使える人がいなかった、ということである。(かくいう私も使ったことがあるが、ホットミラーなどの知識はあろうはずもなく12ビットの画像を扱える画像処理能力もなかった)
 コンシューマー向けに至っては目を被うばかりであった。(98年7月時点での状況は http://www.linkclub.or.jp/^takezawa/Text/Special98/Special.htm 参照のこと)
 つまり、クライアントにたいして「デジカメを使いましょう」とそのメリットを強調して強く提案できる状況でもなく、弱腰にならざるをえないのが実情ではなかっただろうか。もう一つの理由(実は大きな理由)としてはカラーマッチングなど「印刷側」との絡みもあったこともいうまでもない。

 そこでニコンD1の登場である。

 もしこのカメラがこれまでの状況を払拭するような素晴らしいデジタルカメラだとしよう。
 それまで、「予算はないけどなんとかやってくれ」と一方的にボールを投げてきたクライアントに対して、「何百カットでも撮ってやるぜ、ただし次はおまえらがデジタルインフラを整備する番だぜ!」とボールを投げかえせるだけのカメラでなくてはならないと思っている。同時に、いつまでたっても悶々とデジタルフォトデータのカラーマッチングに弱腰な印刷側に対しても「ニコンD1で撮ったデータなんだから、なんとかしろ!」の一言で「ははぁ〜、わかりました、なんとか色をだします〜」とひれ伏すような状況を作り出してもらいたい。

 大袈裟かもしれないがそこまでの状況を作りだせるカメラでなければこのニコンD1の価値はない。65万円という値段にはそのくらいの期待がかかっているし、もしそうならないとしたら、65万円はまだまだ高いといわざるをえない。

 どっちになるにせよ9月の発売が楽しみである。


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update 99.9.18
Hiroshi Takezawa